わざわざ書くほどでもない出来事をどうやって記事にしようか

最近更新頻度が低いのは記事にするほどの出来事がないからです。

穏やかな日々(嘘です)を過ごしていると特筆すべき出来事なんてありませんし、無理矢理何か書こうとしても途中で書くことがなくて中断するばかりです。

ブログを書いている人たちは日々何を書いているのでしょうか。

世の中の出来事に対してコメントするような内容なのでしょうか。

個人的にはそのような記事を書きたいとは思わないので、極力避けたいです。

さて、先ほど書いた嘘のことですが、日々の出来事の中でネガティブな感情を抱くことが多々あります。

そういった出来事や心情をストレートに吐き出してしまっては、わざわざ記事を読んでくれる皆様の気分を害してしまいそうですし、もっと役に立つ情報を提供したほうが世のためになるでしょう。

言い換えるなら読者が不快に感じるような内容を書くべきではないということですね。

健全で平和で健やかな暮らしを見つめるようなブログでありたいと、今この瞬間思いつきました。

次の瞬間には違ったことを考えていると思いますけど。

そしてこのような展開からグダグダと価値のないような内容へとまっしぐらになるのですが、これもまた個人の日記ならば許されることでしょう。

価値のある内容を提供するために価値のありそうな経験を自分に強いるのは無理があるのです。

だからといってクオリティの低すぎる内容では何かとよろしくありません。

そもそもこの記事の内容自体クオリティが低いゲフンゲフン。

それでも何がヒットするか分かりませんし、記事にして公開することで得られる発見もあります。

しかし書くほどでもないような出来事をどうすべきなのでしょうか。

思い悩む様をありのままに提供すると読者不在の自己満足のための内容になってしまうでしょう。

まるでこの記事みたいですね!

そこは日記ということで許してもらうとしましょう。

他人のブログを読んでいると開設当初は頻繁に更新していたものの、やがて更新数が激減するケースが珍しくないように感じられます。

例えブログであっても日々続けることが困難なのでしょう。

続けられる能力というのも一つの才能だと感じました。

もしかしたら苦にならないことなら続けられるのかもしれません。

逆に考えれば楽しいことならずっと続けたいと思うでしょう。

苦に感じるか否かが続けられるかの重要な要素なのかもしれませんね。

でも苦ではないからといって読者に満足されない内容ではどうなのでしょうか。

そう考えていくと結局何のためにブログを運用しているのかという根本的な問いにたどり着きます。

自己満足のため、価値ある内容を提供するため、書くことが目標等、個々人によって違いはあるでしょう。

では私の場合は何なのでしょうか。

その答えで未来が決まってしまいそうな気がしました。

日本は本音と建前というものを上手く使う必要がある文化です。

本音をこのような公の場で漏らせません。

つまりあまり言えないようなことが本音ということなのでしょう。

そういえば昔、本音というか願望というものに正直な人がいました。

そこに共感する人がいれば支持されるでしょうし、反発する人もいたでしょう。

結果としてその人は支持されたと思いますし、ある程度願望を実現できていたように感じました。

あえて本音を公にするというのも一つの方法として良いものなのかもしれませんね。

なんだか書くのが面倒になってきたのでグダグダ日記はこの辺にしておきましょうか。

こういった記事なら書けるのですけどね。

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