どれだけ努力や工夫をしても確率が変わらないなら努力も工夫も意味がない。
むしろ同じ確率なのだから何もしないほうがいい。
そしてそれはつまらないものだと思う。
何かしらの要素で確率を高められるならまだいい。
しかしそうでない場合は本当に運次第なのだろう。
では運の良し悪しを決めるのは何なのだろうか。
日頃の行いがどうこう言われる場合がある。
それはつまり運が悪いということは日頃の行いが悪いということになる。
良し悪しの基準も不明だが、運が悪いからといって日頃の行いの全てを否定されてしまうのは堪ったものではない。
日頃から善良な行動を心がけていても運が良くなるとは限らない。
逆に周囲に迷惑をかけるようなことをしていても運が悪くなるとは限らない。
他人からは嫌われるだろうが。
運の良し悪し自体を考えることが無意味なのかもしれない。
努力も工夫も意味がないのかもしれない。
それでも運の良し悪しは存在する。
確率とはつまらないものだ。
確率に気分を支配されてしまうのもつまらないことだ。
創意工夫する意味があり、結果に反映されるもののほうが面白い。
努力や工夫に意味があってほしい。